韓国旅行いちばんの思い出〜脱北者の語り〜
こんにちは!そふぃーです。突然更新頻度があがりました?卒論におわりの兆しが見えて来たんです笑
というのも、旅行記にはスピードが必要だと考えているのです。旅行で得た知識や情報というのは割と長く記憶しているし、後から調べれば出てきます。でも、感情や気づきは短命。すぐに自分の中から消えてしまう。だから、その時々で書きたい。すでに旅行から1ヶ月経ってますがね!
泣きたい…無念。鮮度100%のピチピッチの感情を残しておきたかったのにい〜
しかし、今回の韓国旅行で一番心に留めておきたいと思っていた事はしっかりメモしていたようです。よかったかった。
それは何かと言うと、脱北者の語りでした。
ツアーのバスの中で雑談的に聞いたもの。でもこんなに忘れられないものになった。語ってくださったのは、笑顔の素敵な女性でした。
たくさんのことを語っていただいた。
言葉をできるだけそのまま、のせたいと思います…↓
「北朝鮮では良い生活をしていました。特に不満もなかったのですが、金正日政権になってからおかしくなりました。商売をしていたので貯めたお金もあったのですが、金正日の経済政策の時にお金は全て紙切れになりました。娘のために、この国をでなければならないと思いました。
娘のためには脱北しなければと思い、マイナス30℃の中、川を渡りました。見つかったら想像もできないくらい恐ろしい目に合うことが分かっていました。気持ちが急いて、なんども転びました。鴨緑江川(アムノッカン)を渡り、なんとか中国に逃げました。脱北には、仲介・支援をしてくれるブローカーと言う人がます。その人に高額なお金を支払い、脱北を支援してもらいます。
脱北者のほとんどはタイを目指します。そこで移民として受け入れられてから、どの国で暮らしていくかを決めます…」
(語りの中ではこう話されていたけれど、私が調べた感じだと、多くはタイから韓国に送還されるっぽい。韓国の憲法が”朝鮮半島の全ての人を市民”とみなしているので、不法入国者に該当しないから)
この方の娘さんは今、中国に留学中。来年からカナダで英語を学ぶ。教師を目指しているそうだ。
彼女の稼ぐお金は9割娘の学費に消える。
しかし北朝鮮で育った娘にとって、教育は何より大切なのだと考えていらっしゃる事が伝わってきた。
「一番の心残りは旦那を残してきてしまったことです。中国から使用済みの携帯を買い取って、北朝鮮の電波を拾って連絡を取ることもできるので、旦那の近況は知っています。最近再婚したそうです。私は旦那を捨ててきてしまったから、当たり前。でも南北統一され平和な時代が来たならば、もう一度会いたい。」
一緒にいた母が「南北統一して平和な日が来ることを祈ってます」と伝えると涙を流された。ありがとうと言われた。
現在、朝鮮半島における離散家族は約2万人。
今でもイムジン河公園では、離散家族たちが集まって法事を行う場所がある。
分断され向こう岸にいる家族のことをいつも思っている。
韓国の人々が北朝鮮の人々へ向ける思いは突き放すような感情ではなく、別れた同胞、家族へ対する愛しさ、歩み寄りたい、いつかは統一してまた一緒に暮らしたい、こんな気持ちではないだろうか。
リボンにはたくさんの「統一を願ってます」という言葉が。
多分、北朝鮮の人々も同じ気持ちでいる。別れた家族や友人を思って生きてる。
北の人々は、そこでの暮らしに不満を持っているわけではない。三食不自由なく食べられる人もいる。一方で栄養失調を来すほど貧しい人もおり、貧富の差はとても激しい。
また、職業を自分で選ぶことはできない。朝鮮労働党の職員や軍人でも高い地位に就くには、家柄やお金が必要だ。終わらない貧困の連鎖がそこにはある。
そのような国家の制度に疑問を持つ国民は大勢いる。しかし、同時に北朝鮮という故郷も忘れられないのだ。
私たちが、ちょっと故郷を懐かしく感じる時がある、それと同じように。
先ほどの脱北者も、故郷が懐かしみ、こうも語っていた。
「韓国での日々は充実しているけれど、まるでジャングルみたいです。毎日新しいことがやって来て、頭と心が忙しい。北朝鮮にいた時はシンプルでした。食べて、働いて、寝て…。」
故郷への思いは忘れられない。脱北して生活が豊かになった今でも、望郷の念は残っている。
都羅山駅に、こんな地図があった。
南北が一つになれな、電車でユーラシア大陸を旅できるよ、という地図。
リアル世界の車窓が実現しますね
この線路をまっすぐいけば、臨津閣駅(Imujingang station)韓国側。
こちらの線路をまっすぐ行くと、板門駅(Panmun station)北朝鮮側。
いつかこの先まで電車が通ったら。
韓国から電車でヨーロッパに行けるんだなあ、素敵だなあ、と妄想しておりました。
こんな感じでちょろちょろしていたら、駅舎から軍人さんが出て来ました。子どもが何やらかすかと心配なさったのだろう…労力使わせてすみません。
この辺りは自然が豊かで空気も綺麗でした。民間人統制区域として、人の足も少なく開発が進んでいなかったので、手付かずの自然が残っています。
宿泊がソウル市内だったので、ここの空気が美味しくて感激しました。
余談なんですが…
この日夢をみました。韓国の人、北朝鮮の人、日本人の私もみんなで飲んでる。夢でも飲むんかい…。 この飲みがめちゃくちゃ楽しかった。みんなで飲みゲーなどしてですよ。ちなみにお酒はビールでした。ソジュとかマッコリじゃないのな。
何故か、その飲み会の後日談で「私、北朝鮮の人と結婚するんだ」と友人や家族に報告していた。だけど、誰も驚かなかった。結婚できるかという不安が見せた夢だとは思いたくないですw
なんとも、幸せな夢だった。壁がないって良いなあと思った。
というわけで!またかきます。
そふぃー
板門店ってなんて読む
こんにちはそふぃーです!
ご無沙汰してるうちに旅の記憶も薄れ…卒論と風邪のせいって言わせて…
突然ですが、板門店ってなんて読む?はんもんてん?最近ニュースでよく聞きますね。ハングルだと판문점(パンムンジョム)です。ご飯屋さんみたいな名前やなあ
つっこんでも仕方ないので、まず板門店ってなんやねんという話から…。
板門店とは、地区の名前。軍事境界線上に位置する場所で、ここに軍事停戦委員会、中立国停戦監視委員会、帰らざる橋、自由の村、宣伝村、72時間橋があります。
この板門店で二国、中立国の様々な会談が行われます。共同警備区域にもなっており、互いに停戦協定が守られているか、監視しております。
みなさんご存知の通り、韓国と北朝鮮は朝鮮戦争を機に二国に分断されました。今は終戦ではなく停戦という状態なのです。
ちなみに両国の国境(厳密には国境ではなく停戦ライン)は俗に言う北緯38度線ではなく、ここ板門店に存在しています。
位置関係はこちら!
(TERUO MATSUBARA 板門店)
のページがとても分かりやすかったのでご覧になってください〜☺️(丸投げ)
板門店の由来とは?
こちらのブログによると
『それまでの板門店はといえば、わらぶきの農家が数戸点在していただけの文字通りの寒村。高麗時代には「ノルムンリ(板戸の里)と呼ばれ、憂さ晴らしに野遊びに来る浪人相手にドブロクを売るちっぽけな居酒屋が一軒ポツンとあるだけだった。その居酒屋もいつの間にか消え、朝鮮戦争のころには旅人相手の小さなそば屋に変わり、その屋号が「板門店」だったといわれる。といっても確かな伝承があるわけでもなく、居酒屋やそば屋ではなくて雑貨屋だったとの説もある。多分、日常品なども並べた峠の茶屋のようなものだったのだろう。いずれにせよ、それまで地図上に名もなかったようなわびしい土地が、休戦会談の場所に決まったことで、一躍、歴史の前面に浮上することになってしまったのである。』
by:
ふむふむ。ノルどこいったんだろう
実際に軍事停戦委員会行われるのはこちらのデスク。マイクのケーブルが停戦ラインに沿って引かれています〜
向かって右側が北朝鮮側、左側が韓国側。
奥の彼は直立不動。韓国の憲兵(헌병)。こんな風に一緒に写真をバシャバシャとられても微動だにしなくて、申し訳なくなった…笑
視線を隠すべく、サングラスをしているそうです。
ちなみに、若くて制服に星が付いてない人は懲役軍人、わりとお年を召されていたり星が付いている方は職業軍人だそうです。彼はおそらく懲役軍人かな。
会議場の外はこんなかんじ。
私たちは韓国側の施設、『自由の家』側から、撮ってます。
先日の北朝鮮兵脱走のニュースで、兵士が走って逃げて来たとされるのが、こちら側の自由の家です。
前に見えるのは板門閣。北朝鮮側の施設です。
ここでは「指をささないでください」と厳重に注意を受けました。指を指す行為は、こちらの文化では”バカにしているサイン”ととられるそうな…でも無意識に指してしまって注意されました…みなさん気をつけて…
このときちょうど北朝鮮側の兵士たちが覗きにきました。めっちゃズームしてイケメンチェックしたよね。
この後北朝鮮側の訪問団が来る予定だったみたい。お互いに、ゲストが来る時間はズラしているみたいです。
ズーム。
板門閣の中はみせてあーげない!らしい。
玄関に立つ兵士は交代制ですが、交代する瞬間がよくニュースで見る北朝鮮の行進のそれだったことに、何とも言えぬ気持ちになりました。
こんなに毎日お互い顔合わせてたら仲良くなりそうと思ったのは私だけですか。
JSA観てから行ったからかな…笑
国連ゲストだよ、の写真。(^ω^)こんな顔してた。
こんなカードをぶら下げます。誓約書も書きますが、写真を撮り忘れた痛恨のミス〜誓約書は貰ったけどなくした〜
内容は”どのような事が起こっても自分で責任を取ります”的なもので、ヒャッてなたことを覚えてる。
板門店はこのくらいで。
少しでも興味の湧いた方は、まず映画『JSA』をご覧になることをオススメします!
若かりし日のイ・ビョンホンがカッコいいからではなく〜笑
政治的な考えに囚われない、本当のJSAが描き出されている気がします。
ではでは!またかきます。
そふぃー
DMZ & 板門店ツアーに行ってきた話。
こんにちは。そふぃーです。
はじめましてのブログです。このブログはただの独り言なので、自己紹介とかそういうのは割愛させて頂きます(チャチャッ)
今回はDMZ & 板門店ツアーに行ってきた話について書きたいと思います。
まず、なぜ参加しようと思ったのか。
驚く程アホな理由。板門店の配属される兵士達がイケメンだと聞いたから。
友達にも「なんで世間がミサイルでクソ大騒ぎしているこの時期に行くの?!イケメンの為に身を粉にしすぎだよ?!」
と超正論を頂きました。おっしゃる通り。
こんな身も蓋もない理由ですが…実際に行ってみたところ、私の期待はあながち外れてなかったです。(おっ)
板門店やJSAというのは、北朝鮮との共同警備区域でございます。停戦中の2国の兵士が停戦ラインを挟んで警備。おまけに国連や米軍の駐在兵もいて、かなり緊張感のある場所です。
なので、ここに配属される兵士には厳しい条件があるのです。ではでは紹介していきましょう!
-
高身長
この理由には結構笑ったんですが『背が高い方が強そうに見えるから』だそうです。そうだね。駐在の米兵や北朝鮮の兵士と並んでも見劣りしないようにと高身長な方が選ばれる。 - 英語が流暢に話せること
駐在の米軍・国連軍ともスムーズにコミュニケーションを取れるように、英語が堪能な兵士が選ばれます。 - 高学歴であること
非常に緊張感のある場所なので、慎重に行動でき、かつ緊急時には賢明な判断ができる人、ということで高学歴な方が選ばれるようです。 - 裕福な家庭の出身であること
時々、韓国という国に不満を持ち、北朝鮮への脱走を試みる方がいるそうです。(びっくりした。)だって北朝鮮の方が兵役も長いし、自由に出国できないんだよ…?というわけで、韓国での生活に満足しているであろう、裕福な家庭の兵士が選ばれます。 - 離散家族が北朝鮮にいないこと
家族に会う為に北朝鮮に逃げる可能性があるからだそうです。
かなり厳しいですよね。この全ての条件を満たせる人は早々いないはず。
因みにこの何拍子も揃ったイケメン君は結婚相手にもってこいとされてるらしい。そりゃそーだ。
(正確には、この条件はガイド役としてJSAに配属される兵士に求められる条件で、板門店やその他の場所ではここまで求められない。らしい)
ここまでだいぶおふざけモードで書いてきたし、参加した理由も凄くふざけてるけど、それだけじゃなかったです。民間人統制区域に入るときにパスポートチェックをしてくれた兵士も、板門店で1ミリも動かず警備をしていた兵士も、どこかあどけなさのある青年たちでした。自分より年のいかない子が危険な場所で服務しているんだなあと心が痛かった。
DMZでは、入隊したての兵士達や高校生が”安保教育”を受けていました。北朝鮮の町を眺め、横では宣伝放送が大音量で鳴っている。韓国の若者たちには常に、”この国はこれからどうしていくべき?”と問われているようにも見える。
というわけで、今回訪れた場所についてもっと詳しく書いていきたい!備忘録です。
詳しくは次の記事から書いていこう。(めっちゃ長いシリーズになるやつだよこれ……)